マジックリアルに彷徨って

まじめな軽チャー、まじめに軽チャー

失礼の本質 終わらないマスク社会と言葉のウイルスの感染対策

礼を失うと書いて失礼とは言うが、そもそも礼とは何なのか。「自己に打ち克って礼に復帰することが仁である」と説いた孔子の言葉に倣うならば、礼とは他者を思いやり、己を律するためのものと言える。しかし、失礼論者の考える礼は「わたし」を「みんな」に拡張して、そうすることがさも当然であるかのように語られるものに思える。人や言動に対して「失礼だ」という言葉が使われるときを想像してみればいい。ほとんどの場合、そのメタ・メッセージは「私を不快にさせるな」に収斂している。 また、失礼論者ほど「あなたのためを思って」と語るが、これは「失礼」な「あなた」をダシにいい人ぶっているに過ぎない。マナー講師の高圧的な態度を思い出してみればいい、意図する/しないにせよ、失礼論者の本質とは、偽装された仁でいい人アピールをするその裏で、形骸化した礼で以て、「わたし」を「みんな」へと順化し、統御する/されることにある。

礼の話にばかり終始していたので、失にも目を向けてみよう。失という漢字は手に乀を足したもので「うっかり手からはなす」様を表している。例えば、"Excuse me"の意味で「失礼します」と口にするとき、当たり前だが、本当に失礼してやろうと思っている者はいないだろう。「失礼します」は、うっかり失礼してしまうかもしれないことに対して、事前に保険をかける一言である。失礼の本質とは、この「うっかり」に、つまりは意図せず起こってしまうことにある。だからこそ、失礼な人は自分が失礼だと気づかない。逆説的に考えれば、気づかないからこそ、失礼な人だけが失礼の本質を理解している。

失礼の本質は「うっかり」という偶然性にあると言ったが、笑いの本質もまた偶然性にある。文脈を脱臼させた言葉で意図せず失礼な物言いをしてしまう滝沢カレン齊藤京子、自然体で予定調和をぶった切る(木梨憲武やフワちゃんのように予定調和を壊す予定調和でさえない)黒柳徹子やあのが面白いのもそこに計算が見て取れないからだろう。概して失礼とユーモアは切っても切れない関係にあるわけだが、それは共に硬直した空間に突発的な孔を空けるものであるからだと言える。「空気を読めない」と言ってしまえば悪いことのように思えるが、調和を保つ多数派が常に正しいとは限らない。多数派から見れば空気を読まない失礼な態度こそが、時として常識人の「みんな」が唯々諾々と信じ込んでしまっているその常識のヴェールを穿つこともある。

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こうした失礼の重要性はコロナ禍において上がってきている。ではコロナ禍において失礼な人とは何者か。言うまでもなくそれはマスクを着用しない者だろう。しかしなぜマスクを着用しなければならないのか。マスク着用論者にそう問えば、人にうつさないためと答えるだろうが、本当にそう考えているのであれば、親だろうと恋人だろうと同じ空間にいる場合は常に着けておくべきだし、突き詰めれば戦時下よろしくガスマスクを身につけるのが最善だろう。流石にこれは極論だが、まず基本的なこととして、飛沫の拡散を防ぐ効果はあるが医療用でない市販のマスクではウイルスは通過する、ウレタンや不織布など素材によって効果に差異があるといった情報についてさほど考えられていないのは、マスク着用論者が心から「他人にうつしたくない」と思っているより、「みんな」に配慮しなければならない「新しい生活様式」という言葉のウイルスに感染しているからだろう。

もうお気づきの方もおられようが、この構図は失礼論者と酷似している。マスク着用論者の悲劇は、「マスクを着けろ」という圧力で他者を支配しようとする裏で、その銃口が他でもない自分たちに突きつけられていることにある。彼らは言葉のウイルスのホットスポットに進んで飛び込み、自由を剥奪されに行く愚かな自傷行為に及んでいるわけだが、「わたし」の問題であるはずのマスクの着用を「みんな」に拡大してしまうのは、そうしなければ自分が「みんな」の輪から外れた「失礼」な人間になってしまう恐れがあるからではないか。そんなことに意味がないと薄々気づいているにも関わらず、言葉のウイルスによって「みんな」と同じ病床に縛り付けられたマスク着用論者は心にマスクを着けて口を噤み続けたまま最期の時を迎えるしかない。

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こうした状況で言葉のウイルスに感染しないで済むのがコロナもマスクも眼中に無い「わたし」のことだけを考えて外で遊ぶ失礼な人である。ただここで間違ってはならないのが、反自粛の態度を示すために頻繁に通っているわけでもないであろうゲームセンターに行きますと宣言する赤木智弘や免許センターからの立ち入りを拒否されようが意地でもマスクを着けない外山恒一のように神経症的にはならずに、何も考えず、自らの快楽の赴くままに動く清水はる的なヤンキー性が大切だということだ。言葉のウイルスに対して最強の免疫を持つ者は、反体制のアイロニーに耽るお利口さんではなく無自覚なユーモアを生きるバカなのだから、身も蓋もない結論を言ってしまえば、こんなもの読んでないでApexでもしてればいい。

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P.S.正しいマスクの着用方法です。